2021年07月24日
平和の和太鼓
昨日はヒデさんと京都散策にいって、平安神宮に行ったのではなく、
そのお隣、
ロームシアター京都に行ってきました。
太鼓センター主催の「平和の和太鼓」の鑑賞です。
3時間のプログラム。
各教室の講師が率いる生徒さんの発表会です。
「平和の和太鼓」、そうです。昨日はオリンピックパラリンピックの開会式。
そこに合わせてのイベントです。
和太鼓による平和の祭典ですね。
一曲目、純詩先生の「日日是好日」から始まったのですが、この曲が平和の祈りを表現していて、
今回の「平和の和太鼓」というコンセプトを見事に打ち出したと思います。
あまりいうと身内褒めになりすぎるので(*^^*)
その後の各教室の発表、どれも学ぶところがあったり気づきがありました。
コロナ禍の中、太鼓を見る機会が減ってしまい、昨日はずいぶん刺激をもらいました。
鑑賞って、生意気なことをいいますが、
舞台に立つ側が表現することを
観る側がいかに受け取れるか。
受け取るアンテナが必要だと思います。
コロナで太鼓を見る機会が減った分、昨日はスポンジが水を吸うように、
自然ともらさず受け取ろうとする自分がいました。
いや〜、94歳の女性も元気に太鼓を叩かれていました。
すごい!
平和に健康に。大事ですね。
いつもながらブログによるコンサートの感想は控えさせて頂きます。
行った日記としてここに記す。
そもそも感想って様々ですしね。
僕の言ったさっきの「受け取る」ことについても
「あれを見てそれを感じたの?」
って思うこともあるでしょ?
あれを見て刺激を受けたのに、そこから出てきたものは全然ちがうね。
ってこともある。
でも、そこに刺激を受けたのは確か。
その受けた刺激が、自分の気づきになり、ちゃんと自分なりに消化してこそ自分のものになるのでは。
消化しないと昇華できない。
ダジャレのような事実でおます。
Posted by
和太鼓集団鼓鐵
at
13:41
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