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2010年04月23日

古代妄想












かつひとです。

去年、レオさんのブレンドラムスに行ったときにもらった携帯クリーナーです。

掃除をしていたら出てきました。



古代の話でも誇大妄想ではないような気がしますが、妄想するに

人がはっきり言葉を発明してないときは

表情と悲鳴(言葉になっていない声)でコミュニケーションをとっていたのかなぁ

うれしいときはお猿のように

うきー!と叫んでいたのかなぁ

そこからウキウキが生まれたりして

逆に百鬼夜行の古代はあらゆる外敵から襲われることがあり恐怖の方が多かったのかも

獣や天災などの環境から身を守ったり、同じ人間から襲われることもあったり、

うぅぅぅ と警戒したり

オオオー と威嚇したり

言葉がなかったときは人間の感情がモロに発声されていたと思います。

雨乞いや神事には太鼓を使われていたという研究結果があります。

もしかしたら、言葉を発明するより、太鼓でなにか感情を伝えることの方が早かったかもしれません。

太鼓といっても今みたいな形ではなく、これなに?と思うようなものでしょう

太い木を細い枝二本を腕に持ってたたき、感情をリズムに乗せていたのかもしれません。

「太鼓という古代からのコミュニケーション・ツールも、そのシンプルさゆえに国や民族を超えてこれまで支持されてきた」

by レナード衛藤

和太鼓でこんな景色を表現したい、こんな感情を表現したいと思っても、それを伝えるのにどんな曲調なら伝わるかな?と悩むことがあります。

言葉でいうならいとも簡単なのに…

太古の昔なら太鼓を使って出来ていたことが、言葉を使うようになって出来にくくなっているのか…

言葉は便利です。

便利さゆえに感情が乗っかりにくいのか…

世界三大難語の一つである日本語。

いいまわしがややこしくて何を言いたいのか分からないこともあります。

僕も日本語を上手く使えていません。

誇大妄想…

古代の人は今の人が言葉で伝えるより分かりやすく、太鼓で伝えることが出来たのかも…


「どうして人は言葉を持ったのだろう?
心が見えにくくなる」

by YUI

Posted by 和太鼓集団鼓鐵 at 18:21 │Comments(0)
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