2019年07月19日
当たり前は、ほんとに当たり前?

【 当たり前 】
あたりまえ こんな素晴らしいことを
みんなはなぜ 喜ばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって
足が二本ある
行きたい所へ自分で歩いてゆける
手を伸ばせば
何でも取れる
音が聞こえて
声が出る
こんなしあわせがあるでしょうか
しかし 誰も それを喜ばない
あたりまえだと
笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ
そして また朝がくる
空気を胸いっぱいすえる
笑える
泣ける
叫ぶことができる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんな素晴らしいことを
みんなは決して喜ばない
そのありがたさを知っているのは
それを失くしたひとたちだけ
(井村和清著「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」祥伝社より)
愛の反対は?
憎しみ?
と、思いますよね。
「愛の反対は無関心」
と言ったのはマザー・テレサ。
では、ありがとうの反対は?
ありがとうの反対は、つまりありがたくないこと。
だから
「ありがとうの反対は当たり前」
人は当たり前と思っていることにありがとうとは言わない。
当たり前がありがとうの反対。
元旦の初日の出を有り難がって見に行く人はいるが
同じ日の出でも1月2日は有り難みがないのか。
毎日の日の出は有り難みがないのか。
毎日太陽が出るのは当たり前だから?
色んなことに当たり前と思わず感謝できるようでありたいです。
Posted by
和太鼓集団鼓鐵
at
12:56
│Comments(0)