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2018年08月08日

野鴨の哲学





デンマークの哲学者キルケゴールの「野鴨の哲学」より


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ジーランドの湖に一人の善良な老人が住んでいた。

老人は毎年遠くから飛んでくる野鴨たちに、美味しい餌を与えていた。

野鴨たちにとって、美味しい餌もあり景色もいい。

この湖で過ごす季節は、豊かで健康的で恵まれたものだった。

しかし本来、野生の鴨は渡り鳥だから、ひとつの湖に住みつくことはない。

ある季節を過ごしたあとは、餌を求めて次の湖に飛び立つ習性がある。

ところが鴨たちは、だんだんと考え始めた。

こんなに景色が良くて、こんなに美味しい餌があるのに、何も大変な苦労をして餌を求めて次の湖に飛び立つことはないのではないか。

いっそのことこの湖に住みついてしまえば、毎日が豊かで楽しく健康的で、恵まれているではないかと。

そんなことで、この鴨たちはジーランドの湖に住みつき、羽ばたくことはなかった。

それからの野鴨の生活は、なるほど確かに恵まれていた。

そんなある日、野生の鴨たちに重大な出来事が起きた。

おいしい餌を用意してくれていた老人がとうとう死んでしまったのだ。

明日からの食べるものがなくなった。

野鴨たちは次の湖へ餌を求めて飛び立とうとする。

しかし、どうしたことか、数千キロも飛べるはずの羽の力がまったく無くなって、飛ぶことはおろか駆けることさえも、ろくにできなくなっていた。

さらに不運は続く。

近くにあった高い山からの雪解けの激流が湖に流れ込んできた。

他の鳥や、動物たちはとびたったり丘に駆け上がったりして激流を避けたものの、

醜く太ってしまったかつての野鴨たちは、なすすべもなく激流に押し流されてしまった。


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与えられることになれすぎて、与えられないと自分では何も出来なくなった鴨ですが、これは人間にも置き換えられる話で教訓になります。

逆に

鼓鐵はめぐまれてなかったから来年30年を迎えられるのかもしれません。






Posted by 和太鼓集団鼓鐵 at 15:15 │Comments(0)
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