2019年03月20日
つれづれなるままに
つれづれなるままに
かきつくれば、
ということで、
思うままに書いてみますが
固定概念の話。
いや、難しい話ではないです。
簡単にいうと
「らしさ」
鼓鐵らしさ
この「らしさ」は固定概念ではないでしょうか?
ずっと鼓鐵をやってきてなんとなく鼓鐵らしさというのがあると思います。
いい意味でも、悪い意味でも。
鼓鐵は30年という時間なので、30年前の鼓鐵、20年前の鼓鐵、10年前の鼓鐵、今の鼓鐵、
まったく違うところもあれば
不易流行
変わらないところもあるでしょう。
そこで一言で鼓鐵らしさといっても漠然とするわけですが、
なんとなく
これは「鼓鐵らしいな」
これは「鼓鐵らしくない」
と、判断できるかと自分では思います。
どんどん成長しよう、よくなろうとやってきて出来上がったイメージの「鼓鐵らしさ」
この「らしさ」については太鼓以外でも皆さんも感じられることでしょう。
とある人についても「あの人らしい」やお店のブランドイメージも「らしさ」ですよね。
あらゆるものや人に「らしさ」を皆さんも感じておられると思います。
鼓鐵についても皆さんが「鼓鐵らしい」と感じることと僕が「鼓鐵らしい」と感じることに多少なりとも差違があると思います。
まあ、イメージなので抽象的なものなので、そりゃそうです。
で、知ってか知らずにかで
作り上げた僕の「鼓鐵らしさ」
これはこれで喜んでもらえたりするので、
ありはあり。
悪いとは思ってません。
そこを目指して積み上げた結果が現在、花開いているのですから。
さて、ではこの「らしさ」
「鼓鐵らしさ」に一番囚われているのは
誰でしょうか?
ズバリ、僕です。
僕、愛美勝仁です。
勝手に作り上げた自らのイメージ、「鼓鐵らしさ」に囚われている。
やっぱ、鼓鐵はこうでなきゃ!
う~ん、鼓鐵としてはそれはアウトね。
これらの判断軸、それは鼓鐵らしさが判断しています。
それが、悪いとはいわない。
経験則で学んだ大事な判断軸であることは間違いありません。
でも、なにもかも
割りきれないものまで割りきらなくていいのでは?
なんて、自分が自分に問いただす。
この「鼓鐵らしさ」
を大事に守りつつも、
囚われないで、囚われてしまわないで、考えることも大事なのでは、
と思い至る。つれづれなるままに。
つづく
Posted by
和太鼓集団鼓鐵
at
12:47
│Comments(0)