2022年06月15日
認識としての鼓鐵 私の場合

以前もここで書いたかもしれませんが、
僕は和太鼓をやっているという認識よりも
鼓鐵をやっているという認識の方が強い。
だから和太鼓の愛美勝仁という肩書きはなく
鼓鐵の愛美勝仁、と認識しています。
とんとこや印岐志呂太鼓で講師をさせてもらっていますが、
これも鼓鐵から派生した活動と捉えています。
もちろん、とんとこはとんとこ、印岐志呂太鼓は印岐志呂太鼓で区別している自分なりのラインはあります。
そして個々の団体の尊重すべきことも念頭にいれております。
キッカケやスタンスの下地に「鼓鐵」があること。これに変わりがない。
今回、自分で「鼓鐵」という枠を一度はずしてみようと考えました。
鼓鐵の愛美勝仁ではなく
ソロの愛美勝仁。
鼓鐵で自分が作曲したものなんかは、ソロでやっても鼓鐵と変わらない。
まあ、そらそうでしょうね。というところはありますが、
それはさておき
ソロ名義の「愛美勝仁」をやってみようと考えました。
ひとつ分かるのは
大袈裟なことではなく、今までと大きく変わるのかといえば、全然変わらない。
鼓鐵の看板がはずれて
より自分好みになる。
そんな気がします。
鼓鐵の場合は、やっぱりこのレベルまでは、とか
それは鼓鐵むきでないからやらない、のような枠がいい意味でありましたが
ソロになれば自分のこだわり重視に、自分の好きな範囲でやってみようかな、と
ある意味、主観的な和太鼓になるかな。
それが認められるか受け入れられるかは別の話になると思いますが
一旦は自分のやりたいこと重視で考えてみようと思います。
和太鼓をやっているという認識より
鼓鐵をやっているという認識の方が強い自分が
鼓鐵の枠をはずしたソロの展開、
応援くださいませ。
Posted by
和太鼓集団鼓鐵
at
12:28
│Comments(0)