目よりも心で接する
すべての文明、あるいは国の中で、日本だけは、目よりも心で接することによって理解できる国である
by ピーター・ドラッカー
経営学の父といわれるドラッカーの言葉です。
外国の方にこのように言われると嬉しいですね。
日本人の感受性が諸外国の人にも伝わっているようで、
まあ、それが良かれ悪しかれあるのかもしれませんが。
反面、日本人は自己主張が下手と以前より言われることがありますが、
それも言葉にしない奥ゆかしさと良い部分として捉えるのか。
いずれにしても唯物論のみに傾かない日本人の
「目よりも心で接することで理解できる国」
なのかもしれませんね。
おおげさに形而上学的なことでなくても
目には見えないけれど、存在するもの。
たとえば
「愛」
愛は目には見えないけれど、その行為によって存在を確かめられる。
「誠実さ」
これもそうですね。誠実は見ることはできないけれど、
人から感じる「誠実さ」は確かに感じる。
和太鼓の音
音は目にできない。見えない。
太鼓そのものや演奏している姿は見えるが、音は見えない。
見えない音だからこそ
その音に心をのせる。
「目よりも心で接することで理解できる国」
だからこそ、見えない音にしっかり心をのせて演奏したいです。