つれづれなるままに
ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に一人の患者の残した詩があるという。
「大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、
より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、
得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。
求めたものは1つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、
心の中で言い表せないものは、すべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ」
J・ロジャー・ルーシーという神父が書いたものだそうです。
かつひとです。
ブッダは四苦八苦を説きました。
人間には苦がある。人生は苦である。
なんかマイナス感情に溢れた言葉に思いますが、ブッダの真意としては結局、人間は所詮、思い通りにならないことを思い通りにしようとするから苦になる。そういうことでしょう。
思い通りにしたいのが人間の性ですね。
足るを知る。
すでに満たされていることを知る。満足。
生きてるだけで幸せなんだと考える考え。
あらゆる考え方がありますね。
僕はどれというのではなく、都合よくそのときに合うものを選ぶ、考え方のフィットするものを取り入れています。
良いときも悪いときも
決してブレているわけじゃないですよ。
芯のようなものや軸はあります。
つまるところ
人生は心ひとつの置き所
どういう心持ちか
どういう心構えでいるか
環境や状況において変化は大事です。
そのなかで心を何処に置くか
それが大事ですね。
常に前向き
それは大事ですが、正直そればかり続けられないときもあります。
だからちょっとね、休憩。
なんてときもみなさんもあるでしょ?
今はごちゃごちゃうるさく言わないで、なんてときも
さあ、立ち上がるか
まあ、もう少し座っていよう
でもいつか立ち上がるし
座って何を考えるか
何をするにも何かあり
何かにうまく説明がつかなくても
その何かが大事なことってありますよね。
そのとき分からなくっても、あとになってふと思ったり
だから、
今から
此処から
自分から
朔、此れより永遠に